「目には目を、歯には歯を」について

前の日のコメント欄でのやりとりを読んでいて、自分なりに考えたことについて。




もともとの意味は「目をやられたら目だけにしておけ、歯をやられたら〜」と
どこかで読んだ気がするのですが、それはそれとして。



「目には目を、歯には歯を」をいわゆる「やられたら同じことをやりかえせ」という
広く流通している意味に置き換えて報復を捉えるとするなら、
「レイプされた」ら「被害者が加害者をレイプ仕返せ」
「殺されかけた」ら「殺しかけ返せ」
になると思うのですが、それがなぜか
「レイプされた」ら「訴えろ」という事に変わります、
いわゆる「世間一般」の意見としては。



それは「レイプは犯罪だから」とか、「まず不可能」とか、「法治国家だから」とか
いろんな問題がそこにはあるので、と言えなくもないのですが、



ここの「レイプされた」  『ら』    「レイプし返せ」
   「レイプされた」  『ら』    「訴えろ」
っていう『ら』の部分の意識の差というか温度差というのをすごく感じます。




「レイプされた」イコール「目には」までは一緒で、そのあとの「目を」の
「目」が何を指すか、という解釈は、誰にとっても一人一人違っていても
いいんじゃないかって被害者の一人としては思います。


新しい被害者を作らない為に命を削って一般の「目を」自分の「目を」とできる人もいて、
自分の命や自分の大切なものを守る為に、自分なりの「目を」を
必死で叶えようとしている人もいて、
その「目を」は常識的に正しくは当然「訴える」なのかもしれないけれど、
非常識な相手から非常識な言動を受けた状態で、
常識的な正しさの中で苦しむことが今はまだできない人もいて、
もしかしたらずっとできない人やもしかしたら今日できる人や、
今までできたけれど明日はできなくなってしまったり、
またできるようになったり、っていう色んな人がきっといると思うので、
それを「レイプ被害者」という一言で一括されてしまうと説明に困ります。
被害者が100人いたら100通りの被害があるので、
その場所からどう人生を選ぶかは100通り以上あって欲しいと思います。




Mr.AのCDを入手したのでちょっと今日は元気です。ずっと聴きたかったから。
ライブ行けるのとかいつかなあ。というか次あるのかなあ。ああああ。
でも多分しばらくは元気。くれた人がいっつもすごくすごく優しくて嬉しい。
私が元気になったらこの人きっと喜んでくれるって思うと、早くもっと元気になりたい。